カテゴリ:一思案( 280 )

特別ではない特別

 多くの人間は、特別な存在でありたいと思うものだ。そして自分の個性を主張したいと思うことだろう。しかし、実際に自分が思うような特別扱いを得られることは少ない。また、内なる自信が、確立されていなければいないほどに、外面的な自己主張へと傾倒する。

 つまり、承認欲求が強いが、自信が無い人間の外面は得てして派手であり、ある種の主張を孕んでいる場合が多いだろう。かくいう私も、以前はそうであった。今振り返ると自分に自信が無く、承認欲求が強かったのだと思う。

 しかし、その派手なスタイルで自信が得られたのかといえば、内面との軋轢に苦しんだだけだったし、承認を得られたのかといえば、それも本来望むものとは違う種類の承認であったのだと思う。

 それは何故か?今考えると、その理由はとてもシンプルで、内面に人からの承認を伴うモノが備わっていなかったからに他ならない。その時の心情を振り返ると、いつも気を張っていて、完璧であろうと意識をしていた。恐らく魂に甚大なダメージを負っていたことだと思う。

 今は、お陰さまで特別ではないことが特別だと思っている。人の目を意識することも殆どなくなり、魂は実にのびのびとしている。また、少なからず自信を持てるようにもなった。但しそれは自分が過去に求めていた「自分は凄い」という種類の自信ではなく「自分は仏に護られ、生かされている」という感謝に起因する自信である。

 その結果、ファッションに於ける奇抜さや、髪の色を染めるということも無くなった。今の自分は決して特別ではないかもしれない。しかし、今までで一番特別な自分だと思う。
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by alchimista01 | 2013-05-20 21:58 | 一思案

問題の目的

 いつだって目の前にある問題を解決する方法は自らの意識の外にある。つまり、どれだけその問題を解決しようと考えても方法論と論理では、絶対に解決しない。なぜならば、目の前にある問題を解決することが重要なのではなくて、それを問題としてとらえている自らの意識そのものを変えることが、問題が現れる目的だからだ。
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by alchimista01 | 2013-05-10 08:29 | 一思案

我を捨てる

 人は問題が起こると、ついつい自分の力で解決してやろう!と考える。そして、その結果、本来苦しまなくてもいいことで苦しむことになる。

 「自分の力で解決してやろう!」という考え方は、一見問題に向き合っているように見えるが、問題を自分の力で屈服させようとしているだけに過ぎない。目の前に問題の発生する目的が、自分の魂を成長させてくれることだと考えると、自分は変わらないで、問題を変えようとすれば、苦しくなって当然である。

 では、どう考えればいいのかといえば、自分を捨てることである。分かりやすく言うと「自分の力で解決してやろう!」を「自分の中から問題の種を消そう」と変えていくことである。

 「我を捨てる」ということは、一見難しいことのようだが、実はそんなに難しいことではない。ただ、真理と相手を優先していけばいいだけである。言い換えれば、自分を優先することが我なのである。ちなみに真理中心、相手中心の生き方を心がけると、問題の種は消えてしまう。つまり真理の流れに逆らわない為、物凄く生きるのが楽である。

 ちなみに現在、考えるべきことはたくさんあるが、悩みは無い。また、月曜日と、土曜日が同じ感覚なので、サザエさん症候群等どこ吹く風である。

 以前、ホ・オポノポノという本を読んだ時にはピンとこなかったが、今なら良く分かる。全ての問題は自らが作り出したということを。そして、全ての問題を解決できるのは、唯一自分だけだということを。つまり自分こそが自らの世界の仏であり、神であるということに他ならない。
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by alchimista01 | 2013-05-02 09:11 | 一思案

不安を無くす

 誰にでも、まだ見ぬ未来への不安がある。自分自身も不安というものに、多くの時間と労力を費やしてきた。しかし、その時間と労力に見合うだけの収穫があったのかといえば、おそらく何の収穫も無かっただろう。そこで良く考えた。

 さて、これからも不安の為に、多くの時間と労力を使う人生を送るのか?
 それとも、不安など一切無い、有意義な人生を送るのか?

 俺は何の迷いもなく、不安のない人生を送ることを選んだ。

 その為の方法は至ってシンプルである。自分自身の力で、何とかしようという考え方と、生き方を止めればいいいいだけだった。つまり、神や仏、真理や生命と言われる大いなる力にすがることと、人に助けて貰うことをする。もちろん、それは自己の努力があってのことだが、兎に角自力の限界というモノを知って謙虚になることだと思う。

 公私に於いて、人にアドバイスをすることも多いが、不安の無くならない人ほど「自分のやり方でやる」とか「自分の信じる生き方がある」と言う。つまるところ、いつも自分が一番なのだ。やはり、先ずは、色々と考えずに、聞いたことを素直にやるということが、不安を取り除くための最短の道であるのだと思う。
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by alchimista01 | 2013-04-23 21:15 | 一思案

光の国

言葉をもってしか、自らの思いは相手に伝わらない。
しかし、思いがこもった言葉でなければ相手には届かない。

思いを込めた言葉を繰り返すことで、自らを取り巻く世界は変わる。
しかし、自らを取り巻く世界を変える為に生きているわけではない。

ただ、無償で相手の幸せを願い、思いを言葉に込めることが大切なのだ。
そして、自らを取り巻く人たちが幸せになった結果として世界が変わるのだ。

手段が目的になってしまったら、モノゴトは決して上手くいかない。
真心を形にした、形を模倣しても、モノゴトは決して上手くいかない。

子供でも分かる話だが、行うのは爺さんでもなかなか難しい。
しかし、誰もが今すぐに行うことができる簡単なことでもある。

相手を思いやり、幸せにすれば、そこに光の国は出現する。

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by alchimista01 | 2013-04-17 21:36 | 一思案

Love Navy

 紺の私服が似合う女性が好きだ。紺は、美しく純粋な魂を持っている人ほど似合う色だからに他ならない。しかし、紺が本当の意味で似合う女性というのは少ない。実際に、制服もスク水もブルマも紺だし、事務服も、スチュワーデスの制服も、警察官の制服も紺である。とにかく着る機会が多い色ではあるが、同時に似合っている人の少ない色でもある。

 一般的には中~高と制服ならば、6年は紺の服を着ることが多い。その後、大学や、社会に出れば当然ピンクや白、赤に青といった色を選ぶことも必然と言える。だからこそ、社会人で、紺を好んで私服に着て、且つ似合うという女性は稀有の存在と言える。そういう人の魂は大概、美しく純粋である。
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by alchimista01 | 2013-04-09 19:10 | 一思案

損か得があったら損を取る

 人生の様々な局面に於いて「選択」をする機会というものが訪れる。そういった場合、人は往々にして「得」をする方を選ぶ。しかし、それは幸せを遠ざける選択である。なぜならば、自分が「得」をするということは誰かが「損」をすることだからである。

 「損して得取れ」という格言があるが、意味は、目先の「得」を考えるとかえって大きな「損」をすることがあり、逆に今の「損」を我慢すれば最終的に大きな「得」を得ることがある。ということだ。まさしく、その通りだと思う。

 しかし、人間はついつい自分が「得」をする方を選んでしまう。それならばいっそ、選択をする機会が訪れた時には、敢えて「損」をする方を取ればいい。

 その選択が出来れば、幸せというものは、後から付いてくるものだと思う。
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by alchimista01 | 2013-04-03 22:13 | 一思案

焦点

 本当の「満足感」というモノを得ることは難しい。だからこそ人は、別の方法でそれを満たそうとする。それは、往々にして自己完結出来る選択であることが多い。例えば買物をする、甘いものや、美味しいものを食べる、酒を飲む等が多いだろう。

 しかし、そういった行為で「満足感」を得ることが難しいことは、皆がよく知っている。では、本当の「満足感」とは何か?多くの人は、お金を得ることや、恋愛や仕事、友人関係、結婚の成功によって「満足感」を得られると思っている。

 ところが、お金を得ても悩みが解決すわけではないし、彼氏・彼女が出来たら出来たで悩みが生まれるし、仕事をしても同僚や上司との関係に悩む、そして、結婚をしても浮気や離婚がなくならない。つまり、そういった移ろいゆくものに焦点を合わせても幸せにはなれないということだ。

 それでは、何に焦点を合わせれば良いのかというと、変化しないものに他ならない。変化しないものとは、真理(仏・神・サムシンググレイト)である。真理に焦点を合わせてさえいれば、お金も、恋愛も、仕事も、結婚も、友人関係も家族関係も健康さえも手に入る。

 真理を知り実践すること、人格を完成すること。この2点にのみ焦点を絞って生きていれば幸せになれるのである。
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by alchimista01 | 2013-03-26 15:56 | 一思案

問題解決力の本質

分からないことがあった時、最も早い解決方法は、その事柄に詳しい人に聞くことだと思う。もちろん自分で調べるということも大切だが、一刻を争う場合には、聞くに勝る解決方法はないだろう。

しかし、その為には、誰に聞いたらいいのか!?また、何と聞いたら正しい答えを導き出せるのか!?を的確に行う為に、必要なスキルを掘り下げて考えておくことが重要である。

おそらく上記を叶える為に必要なスキルは、分析力、把握力、理解力、発想力、質問力などであろう。しかし、そのようなスキル全てを、一朝一夕で身に付けることは難しい。

それでは、どうすればいいのかといえば、解決方法はとても簡単だ!謙虚に素直な心を持って、誰に聞いたらいいのか?何と聞いたらいいのかを、先ずは身近な人に聞くことだ♫そして、さながらわらしべ長者のように、それを繰り返していけば、自ずと求めている回答を得ることが出来るものである。

この話は、文章で読むととても簡単なことのようだし、実際に簡単なことなのだが、いざ行うとなると、以外と難しい。何故ならば、人には見栄や体裁というモノがあって、ついつい自分の力だけで何とかしようとしてしまう。

分からないことを理解するということ。即ち問題解決力というモノは、言い換えれは、謙虚で素直な心というモノに他ならない。
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by alchimista01 | 2013-03-23 19:30 | 一思案

Experience

 意識を変える最大の方法は「体験」である。昨今ではTVや書籍、インターネットの発展の恩恵により、実際に体験したことがなくても体験したような気分になることが出来る。例えば北海道の旅番組を見れば、いくら丼を食べたような気分になり、登別温泉に入ったような気分になれる。また、スカイツリーが特集されているタウン情報誌を読めば、登ったように気分になれるし、お土産を買ったような気分にもなれるだろう。

 しかし、それはあくまでも疑似体験に過ぎない。何が不足しているのかといえば大きく二つで、一つは、楽しいとか嬉しいとか悲しいといった「感情体験」。もう一つは、二時間待ちか・・・予約しとけばよかった、もっと早く来ればよかった等という「失敗体験」である。つまりどれだけ、TVや書籍、インターネットで情報を収集してもそれは単なる知識でしかなく、実際にその場で感じることとは大きな隔たりがあるということだ。

 上記のような例は非常に分かりやすいし、誰かに迷惑を掛けることも余り無い。しかし、厄介なのはそれがより精神的世界に寄った内容である場合である。例えば自己啓発や宗教書の類を読むと、あたかも自分が素晴らしい人間になったような錯覚を覚える場合が少なくない。すると、そこに書かれている「結果」を求めるようになる。

 しかし、自分という人間はその時点では、何も変わっていない。幸せになる疑似体験や、恋人が得られる疑似体験、仕事が上手くいくようになる疑似体験をしただけに過ぎないということだ。しかし、人は自分もすぐにそうなれると錯覚する。

 ところが全くそうなれないので、「この本だめだな!とか、環境が悪いからな!とか、あいつが悪いからな!」と環境や人のせいにする。そして、新しい幸せになれそうな何かを探し、同じことを繰り返す。

 つまり、多くの場合、幸せになることや、恋人が得られることや、仕事が上手くいくという結果に至るまでの過程で体験する「感情体験」や「失敗体験」等は人の話をどれだけ読んでも理解できないということだ。

 自分自身で体験したことしか血肉にはならない。多くの「感情経験」と「失敗経験」の上に、幸せや、成功と言われるものは鎮座しているのである。「いつやるか? 今でしょう」
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by alchimista01 | 2013-03-10 06:17 | 一思案