カテゴリ:一思案( 280 )

船を漕ぐ

 例えば太平洋のど真ん中に一艘の船と共に置き去りにされたとする。流石に上下はわかるが、東西南北は全く分からない。そういった状況の中で、何とか船を漕いで陸地に到達しなければならない。理論上ではどちらに進んでも陸地には到達するが、選んだ方角によって要する時間は相当変わるだろう。

 しかし、もし星を見て方角を知る知識があったならばどうだろう?それだけで東や西に進む選択をすることが可能になるため、大分楽になる。さらに海流の知識があったらどうだろう?きっと、より早く陸地に到達することが出来るだろう。

 人間が真理に向かうとはおそらくこういったことではないかと思う。しかし、我々は東に少し進んでは、陸地が見えないと南に向かい、また少し進んでは北に向かい、さらに少し進んでは西に向かい、やっぱり最初の方向だと東に向かう。そして、そのうち何処にいるのかも分からなくなり、陸地を目指すことを諦め、救助を待つのだと思う。

 つまり、真理に向かうためには、きちんとした知識を身に付け最短の方向を知り、後はひたすらに漕ぐということしかないのだと思う。それは、もの凄く孤独で、不安だが、漕ぎ続けなければ決して陸地にはつかない。そして、漕ぎ続ける力のことを信念というのだろう。
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by alchimista01 | 2014-03-24 23:02 | 一思案

水が合うとか合わないとかいうこと

 魚は水の中にしか住めない。その魚にしても、淡水魚や海水魚、深海魚等様々な分類があり、当然それぞれの魚に合う水が違う。よく「水が合う」というが、人間にもそれぞれ、相応しい水(環境)があるように思う。往々にして、水が合わないところで生きることは苦痛であり、水が合うところでは幸せを感じやすい。

 先日聞いた話だが、魂が純粋に成ればなるほどに綺麗に澄んだ水の中にしか住めなくなるという。もし、周囲の環境や人間との関係に違和感を感じるようになったのだとしたら、魂と環境が合っていないのだと思う。そして、それは、以前より魂が綺麗になった証拠かもしれない。
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by alchimista01 | 2014-03-17 23:47 | 一思案

3年経って思うこと

 東日本大震災から3年が経った。あの日、多くの人が様々なカタチで死の恐怖に直面したことと思う。そして、生命の大切さを思い知った。しかし、原発も含め、復興の実態は「生命」ではなく「資本主義」に重きが置かれたモノとなった。この震災で一儲けしようという人々が挙って東北に詰めかけたものの、様々な助成金や補助金が打ち切られるにつれそれは疎らとなり、儲からないことは一向に進まないという現状を呈している。待っていても誰も助けてくれない。それが、3年という時間が教えてくれた一つの答えである。

 もちろん、人の中に善意や良心がないということではないが、国家を中心とする「資本主義」という世界最大の力の方向性がそうであるということだ。これは決して人事ではない。将来我々に何かがあった時、国や地域、そして誰かが根本的には救いの手は差し伸べてはくれないということは知っておく必要がある。

 そして、我々が向き合うべき本当の問題は「資本主義」という構造そのものなのかもしれない。「生命を大切にする世界」それは、理想かもしれない。しかし、もはや「幸せの価値観の変換」だけが、唯一人が救われる道なのかもしれないと思った。

 多くの方の犠牲と悲しみ、苦しみによるこの結果を忘れずに、未来の為に出来る範囲で生かして行きたい。そして、亡くなられた方のご冥福と、未だ震災により苦しむ方々に一日も早い幸福が訪れることを祈念したい。
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by alchimista01 | 2014-03-11 23:15 | 一思案

「忍耐」について

 読んで字の如く苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶことであります。西洋の古い世界に於ける基本的な徳とされる「四元徳」の中にも、数えられています。また仏教の中では忍辱とされ、他の人を救うと言われる「六波羅蜜」という修行の中にも数えられてします。つまり、洋の東西を問わず、重要とされているということが伺い知れます。

 しかしながらこの「忍耐」というモノは、現代の人々にはあまり備わっていないと言われています。

 ところが最近、僕はこの「忍耐」を強いられる日々が半年位続いています。それにより一体自分の何が変わるのかという疑問を持っていましたが、どうも自分の我が出やすい両親や祖母に対する態度が柔らかくなったようです。確かに言われてみればイライラしなくなった気がします。

 忍耐を続ける効果が、意外なところに出ていてびっくりしましたが、無駄なものは無いということですね。
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by alchimista01 | 2014-03-07 22:16 | 一思案

「信じる」ことの難しさ

 「信じる」ということほど難しいことはない。一見するとなんて事はない言葉だがその真意は計り知れない。例えば神頼みという言葉があるが、これは何かを叶えて欲しいという願望ありきであり、決して信じているわけではない。また、相手を信じているという恋人や、夫婦の関係も、会社を信じているというサラリーマンも、お金を信じているといった人も、それに裏切られたり、失った瞬間にいとも容易く信じられなくなるものである。

 つまり、変化するものは、そもそも信じられないということだ。そして、何かを叶えてもらうために信じたふりをすることも「信じる」とは程遠いということだ。

 では、いったい「信じる」とは何なのか?今現在の個人的な見解としては、自分の醜さや、弱さを神や仏にさらけ出すことではないかと思う。しかし、これが難しい。つい自分で、これはやろう!このくらいは出来なきゃ!といった欲というか、見栄が生まれる。それが、「信じる」ことの邪魔をする。恐らく色々と考えてしまう人間ほど「信じる」という行為から程遠いのだと思う。きちんと自分自身の醜さや弱さを認めて「信じる」ことのできる人間になって行きたい。
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by alchimista01 | 2014-03-05 22:02 | 一思案

最近知った真実

 これまで、人生に於いて様々な問題が起きるのは「自己の魂を成長させる」ためだと思っていた。しかし、先日そうではないことを知ってしまった。全ては「神や仏」を信じる為だった。つまり、大げさな言い方をすれば昨日と違う何かができるようになるために努力することとは、RPGで、倒せなかった敵を倒せるようにレベルをあげることに他ならない。そう、ゲームが終われば宿題をしなければならないし、明日は学校に行かなければならない。その程度のことだ。大切なことは宿題をすることであり、学校にいくことだ。何故ならば、ゲームの中での成長は現実世界に於いて殆ど影響を及ぼさないからである。同じようにこの世で様々なことが出来るようになることは大切だが、それは目的ではない。目的は神や仏の存在を信じることなのだと思う。そこから真実が始まる。
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by alchimista01 | 2014-02-24 22:40 | 一思案

バレンタインデー

 本日はバレンタインデーですね。学生の頃はあんなにウキウキ♪ したのに昨今ではすっかりただの日になってしまいました。もちろんお正月や、クリスマス、誕生日といったイベント自体が、キラキラとした特別な一日ではなく、徐々に普通の日になって来ているように感じます。

 それが年を重ねるということなのでしょうか!?いや、恐らくそうではないでしょう。

 大きな原因は二つだと思います。一つは、人生の目的と、そういったイベントが乖離してきたことにより、大きな喜びを見出せなくなったこと。もう一つはマンネリ化だと思います。バレンタイン=チョコレートを貰う日。クリスマス=スパークリングワインを飲みながらチキンとケーキを食べて、プレゼントを貰う日といった繰り返されるイベントに慣れてしまったのでしょう。これはとても幸福ことであり不幸なことです。

 人生の目的と、そういったイベントとの乖離を変えていくことはとても難しいことです。それは生き方そのものを変えることになるからです。出来ることは、マンネリ化を変えていくことだと思います。

 そこで考えました。マンネリ化を防ぐため、これから全てのイベントは絶対に忘れないくらいのインパクトを持っておこなうことにしようと思います。しかし、こういった、気が付かなければ形骸化されていくことに、気がついて本当に良かったです。
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by alchimista01 | 2014-02-14 23:23 | 一思案

病床にて思う

 先週の水曜日に急性胃腸炎になり、早1週間。相当に苦しい日々を過ごした。何が苦しいのかと言うと、まず食べられない。そして飲めない。更に出かけられない。自分は、この三つの行為を絶たれただけで、何をして過ごしていいのか分からなくなった。本を読む、溜まっていたTVを観る等それなりにやることはあるのだが、どこか充実感がない。

 しかし、食べること、飲むこと、出かけること。に多くの部分を占められている、我が人生の充実感とは如何なものかと思い、これではいけないと思った。そういったモノを脱ぎ捨てた先に、生きる目標や大義、夢のようなモノが無いということはどこか軽薄な人生である。

 これを機により一層、そういったモノを確立すべく研鑽していきたいと思った。
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by alchimista01 | 2014-02-12 23:36 | 一思案

それでも与え続けるということ

 誰かの為に一生懸命何かをおこなっても、全く報われないことがある。そんな時、多く人は二度とその人のために何かをおこなうことをやめてしまう。場合によっては、人のために努力をおこなうこと自体を止めてしまうこともある。そうなってしまう最大の原因は、報いを求めて相手に与えているからに他ならない。よって、報われなかった時にショックを受けるのだ。

 報われないことは苦しく、悲しい。しかし、人は無条件に与えていくことが出来るようになることを求められている。その為に、報いを求めずに与え続けていくように成れることが必要だが、これは本当に難しい。無償の愛、口で言うのは簡単だが、おこなうことはとても難しい。。。

 だからこそ、挑んでいく意味があるのだと思う。
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by alchimista01 | 2014-01-29 23:19 | 一思案

ワークライフバランス

 ワークライフバランスという言葉がある。意味は「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指すということらしい。

 しかしながら、この思想はベンチャー系IT企業とは最も遠いところにあるのだと痛感している。昨年の今頃は明るいニート生活を謳歌していた私だが、いまではすっかり残業王になってしまっている。ニートと残業王という両極端なワークライフバランスではなく、もう少し一般的なレベルでのワークライフバランスを実現していきたい。
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by alchimista01 | 2014-01-10 22:52 | 一思案