船を漕ぐ

 例えば太平洋のど真ん中に一艘の船と共に置き去りにされたとする。流石に上下はわかるが、東西南北は全く分からない。そういった状況の中で、何とか船を漕いで陸地に到達しなければならない。理論上ではどちらに進んでも陸地には到達するが、選んだ方角によって要する時間は相当変わるだろう。

 しかし、もし星を見て方角を知る知識があったならばどうだろう?それだけで東や西に進む選択をすることが可能になるため、大分楽になる。さらに海流の知識があったらどうだろう?きっと、より早く陸地に到達することが出来るだろう。

 人間が真理に向かうとはおそらくこういったことではないかと思う。しかし、我々は東に少し進んでは、陸地が見えないと南に向かい、また少し進んでは北に向かい、さらに少し進んでは西に向かい、やっぱり最初の方向だと東に向かう。そして、そのうち何処にいるのかも分からなくなり、陸地を目指すことを諦め、救助を待つのだと思う。

 つまり、真理に向かうためには、きちんとした知識を身に付け最短の方向を知り、後はひたすらに漕ぐということしかないのだと思う。それは、もの凄く孤独で、不安だが、漕ぎ続けなければ決して陸地にはつかない。そして、漕ぎ続ける力のことを信念というのだろう。
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by alchimista01 | 2014-03-24 23:02 | 一思案

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