「信じる」ことの難しさ

 「信じる」ということほど難しいことはない。一見するとなんて事はない言葉だがその真意は計り知れない。例えば神頼みという言葉があるが、これは何かを叶えて欲しいという願望ありきであり、決して信じているわけではない。また、相手を信じているという恋人や、夫婦の関係も、会社を信じているというサラリーマンも、お金を信じているといった人も、それに裏切られたり、失った瞬間にいとも容易く信じられなくなるものである。

 つまり、変化するものは、そもそも信じられないということだ。そして、何かを叶えてもらうために信じたふりをすることも「信じる」とは程遠いということだ。

 では、いったい「信じる」とは何なのか?今現在の個人的な見解としては、自分の醜さや、弱さを神や仏にさらけ出すことではないかと思う。しかし、これが難しい。つい自分で、これはやろう!このくらいは出来なきゃ!といった欲というか、見栄が生まれる。それが、「信じる」ことの邪魔をする。恐らく色々と考えてしまう人間ほど「信じる」という行為から程遠いのだと思う。きちんと自分自身の醜さや弱さを認めて「信じる」ことのできる人間になって行きたい。
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by alchimista01 | 2014-03-05 22:02 | 一思案

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