特別ではない特別

 多くの人間は、特別な存在でありたいと思うものだ。そして自分の個性を主張したいと思うことだろう。しかし、実際に自分が思うような特別扱いを得られることは少ない。また、内なる自信が、確立されていなければいないほどに、外面的な自己主張へと傾倒する。

 つまり、承認欲求が強いが、自信が無い人間の外面は得てして派手であり、ある種の主張を孕んでいる場合が多いだろう。かくいう私も、以前はそうであった。今振り返ると自分に自信が無く、承認欲求が強かったのだと思う。

 しかし、その派手なスタイルで自信が得られたのかといえば、内面との軋轢に苦しんだだけだったし、承認を得られたのかといえば、それも本来望むものとは違う種類の承認であったのだと思う。

 それは何故か?今考えると、その理由はとてもシンプルで、内面に人からの承認を伴うモノが備わっていなかったからに他ならない。その時の心情を振り返ると、いつも気を張っていて、完璧であろうと意識をしていた。恐らく魂に甚大なダメージを負っていたことだと思う。

 今は、お陰さまで特別ではないことが特別だと思っている。人の目を意識することも殆どなくなり、魂は実にのびのびとしている。また、少なからず自信を持てるようにもなった。但しそれは自分が過去に求めていた「自分は凄い」という種類の自信ではなく「自分は仏に護られ、生かされている」という感謝に起因する自信である。

 その結果、ファッションに於ける奇抜さや、髪の色を染めるということも無くなった。今の自分は決して特別ではないかもしれない。しかし、今までで一番特別な自分だと思う。
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by alchimista01 | 2013-05-20 21:58 | 一思案

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