手に入れ方

 最近良く考えるのだが、あるモノをどうやって手に入れたかということがそのモノとの関係性を決めるのでは無いかと思う。もう少し分かりやすく説明すると「苦労」して手に入れたモノは、簡単に手に入れたモノよりも大切にする傾向があるという話だ。

 それは「苦労」だけでは無い、例えば「彼女からのプレゼント」や「旅先で親友と一緒に買ったモノ」、「おじいちゃんの形見」等はそれに当たるのではないかと思う。

 少し別の話だが、九十九神という話がある。長い年月を経て古くなった、長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に、神や霊魂などが宿ったモノの総称だが、この付くモノの正体は、おそらく「思い」であったのではないかと思う。

 つまり人は「思い」が強く付いたモノを長く大切にするのではないかと思う。そう考えた時、モノの手に入れ方というのはとても大切だ。つまり何となく買ってしまったモノというのは、思いが弱い為かなかなか愛着が湧かず大切に出来ないのでないかと思う。

 と偉そうな話をしているが、斯く言うわたしも「大切に出来ないモノ」をたくさん手に入れて来た。そう。この話は自身の膨大な失敗に裏付けられた話なのだ。
 
 例えば最近、ネットだけを観て買物をする事を止めた。最終的な購入手段がネットになることはあるが、先ずはきちんと現物と五感で向き合ってから買うようにしている。そこには前記した「モノへの思い入れ」という話と「そのモノがそこにあることへの敬意」であると思う。

 ココで言う敬意とは(作り手~ここに並べた人という多くの人の手を経て今自分の手の上にあること)へ感謝をして、自分もきちんと五感を持って向き合うという意味である。

 さて、ここまでモノに関して述べて来たが、これは仕事や人にも言えることである。どういうスタンスで仕事を選んだのか、どういう気持ちで彼女や彼氏を選んだのか!?それが、何か問題があった時の「乗り越える力の強さ」になると思う。別の言い方をすれば「覚悟」である。

 しかし誤解をしてはいけない。最初の「思い」で全てが決まるという訳では無い。幾らでも途中から、また今この瞬間からでも「思い」を変えていくことが出来る。そして良く考えてもう一度選べばいいのだ。こういうことを仏教では「生きながらに生まれ変わる」と言う。

 そのモノや人、機会が今、自分の手の中や、届くところにあることは凄いことなのだと感謝が出来るようになった時、自分とそのモノや人との関係は大きく変わる。

 最後に手に入れ方と言うのはどのように対象を手の中に収めるのかということである。対象が砂のようであれば、強く握らなければこぼれ落ちてしまうし、繊細な紙細工であれば優しく握らなければ壊してしまう。対象に合わせた絶妙な力加減こそが「思い」により生まれる「寄り添う心」であると思う。モノにも人にも機会にも寄り添っていける自分でありたいと思う。
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by alchimista01 | 2011-02-28 08:00 | 一思案

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